冷めたスープをかきまわしても魔法はおこらない
確かに運が良い方ではないが、
ある日ベランダに女の子が引っ掛かっていてそこから様々な厄介事に巻き込まれる程ではないし、
卑劣な相手に啖呵を切って怯ませる能力があるでもないし、右手でその幻想をぶち殺せるわけでもない。
ただ、周りの友人知人が漫画みたいな特化能力を持っている事が多くて、それに比べると平々凡々な俺は
例え漫画みたいな展開でも苛酷な環境を切り抜ける特殊な才能の開花を望まないでもない。
それが、その「漫画みたいな展開」が我が身に起こる筈が無いという、漫画でもゲームでもない自分が生きる世界への根本的な理解の上に成り立つ、薄っぺらな想像に過ぎないのは重々承知である。物語の主人公は自分には荷が重い事を理解している。
しかしながら人間の理解という一種のピリオドが思い込みであることは少なくない。
そして俺は今、一生懸命理解への誤解を立証すべく、
物語の主人公然として脳内で導入を書き連ねている。
個人的に一人称ものはとっつき易くもあるが設定が複雑であるほど中盤に差し掛かる頃には
グダグダになるように感じるから変えた方がいいかもしれない。
状況を過不足なく説明するには一人称を担う人物にある程度賢いキャラクターが要求される。要するに俺には無理だ。だからこうして現在の状況に触れずに導入など考えているわけである。
「なんなんだよちくしょおおおおおおおおおおおおおおおお!」
やあみんな!俺、天上銀河!
東北出身の17歳、今は関東の学生寮で暮らす婦女子垂涎の男子高校生だ。
ところでみんな、もしもある日突然今までとは全く違う世界が目の前に広がっていたらどうする?
勿論ポジティブな意味で視野が広がったとかそういうことの比喩ではなく。
例えば自然が豊かで、でも屋久島とかよりはどちらかというとアマゾン的に何かとパーツが大きくて、
まあまあ見覚えのある姿形のまま人を捕食できるレベルに巨大化した様々な動物が飛び出してきて、
たまたま声掛けてみた人が振り向いてみたら顔がライオンそのものだったりする世界だ。
ケチをつけるようだが、目が覚めたら別世界でした、なんていくらなんでもありがちすぎる。
冒頭で言った通り俺には異世界ものの主人公になれるような特異な才能も特徴も無いし、
自分で言うのもなんだが性格に難有りとか暗い過去を抱えてるわけでもないから、
異世界での仲間達との冒険を通して内面的な成長を遂げるだけののびしろも多分さほど無い。
想定する全ての展開で俺という個人が活かされる可能性がナッシングなのだ。
ついでにこの世界から帰れる可能性も、むしろ今現在例の巨大動植物に追い回されて生き延びる可能性も
認めたくナッシングだが限りなくナッシングだ。
そもそもそんな俺が異世界にログインしてしまったきっかけはなんだったのか?
心当たりは無いでもない。それは今も制服のポケットの中で妙にずっしりと違和感を主張する。
それを手に取ればきっと追い回されるだけの状況からは脱却できる。
まともに触れてもいないのに、なぜだかそれだけは感じ取ることができる。
これが窮地に追い込まれた平凡系主人公の特殊能力の開花なら、展開として従うほかない。
「くっそお…でもさ、落ちてたら拾うじゃん!
近くに持ち主いないかなとかそのくらいの善意は持ち合わせてたっていいじゃん!?
ほんとまじこれ返すから俺帰してくんないかな、目覚めるべきは俺じゃなかったでしょだって!」
独り運命に毒づく俺を容赦無い足捌きで追う巨大なひよこはもしかしなくても腹が減っているのだろう。
他者を襲いさえしなければ可愛い生き物に違いない。むしろ空腹が理由なら罪は無い筈だ。
戦いたくない、丸呑みするなら他のものを、と溢れる自然を振り返り見る。例えば十分な日光と肥沃な大地に育まれた果実。あれで十分じゃないか!顔がついているから遠慮したいとでも?それなら俺にだってあるわ!でもなにあれ恐い!
幸いと言うべきか、幼いひよこは好奇心からしばしば周囲で目についたものに
気を取られ足を止めることがある。
それでももう一度こちらを見るまでにロックオンを振り切れるほど、素早く距離を取れはしない。
朝露だろうか、音をたててくちばしに落ちた水滴に目をくりくりと瞬いてひよこが三度歩みを止めた。
息も上がり、意外と走れる自分の体力に感心していたところだ。
俺は観念して、努めてきりりとした表情で爪先からひよこに向き直った。
制服のブレザーの右ポケットに手を突っ込んで、ギリギリ手のひらに収まる程度の大きさの紙の箱を掴む。
「俺…、カードゲームやんないから基本も何もわかんないんだけど…!」
なんでもいい、藁にも縋る心算と表すにはどこか違和感が残る妙な確信は、
自分の努力など過程の何も経ていない以上自信とはとても言えないが。
それでもこれからこの目で見る展開を、ばからしい、あるわけないとは微塵も思わなかった。
まだ新しいだろう箱のミシン目を押して蓋を開ける。ひよこが漸くこちらを向く。
傾けると少し色が変わる加工をされ、星をモチーフにデザインされたカード、俺はその束を一気に引き抜いた。
『<WELCOME TO THE WORLD OF ”HEXA BYBLOS”>』
『<!DEMO PLAY!>』
『<!DEMO PLAY!>』
俺の手に収まっていたのも一瞬、カードは眩く光を放って勢いよく宙に広がった。
たかが蓋を開けるので一苦労するのだ、
だから人はその先をフィクションだと笑う
だから人はその先をフィクションだと笑う
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